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ウィキペディアより
戦乱を避け揚州に避難していたが、建安年間の初めに、袁術の部将である戚寄・秦翊を説き伏せ、共に曹操に帰順し、曹操を大いに喜ばせた。
建安5年(200年)頃、揚州刺史の厳象が廬江太守の李術に殺害される事件が起き、さらにその隙を衝いて、廬江の梅乾・雷緒・陳蘭らが数万の軍勢で跳梁した。
曹操は袁紹と対峙していたため、自ら討伐に向かえなかったが、劉馥ならその任に堪えられるとみなし、後任の揚州刺史として派遣した。
劉馥は、単身で合肥に乗り込んでここに政庁を設置し、雷緒たちを帰服させた。
数年もすると仁政と教化の効果が現れ、揚州の政治は安定し、他の地方の人民までが劉馥を頼って集まってくるほどであった。さらに屯田・灌漑事業を推進して良好な結果を残し、財政的に余裕も出るようになった。
建安13年(208年)、劉馥は死去した。劉馥が築いた堤防や蓄積した物資は、孫権の合肥攻撃の際に、これを撃退する上で大いに貢献した。
小説『三国志演義』では、揚州刺史としての功績が言及されている。しかし赤壁の戦いに従軍した際に、曹操の詩を不吉と批判したため、酔っていた曹操の不興を買って殺害される。酔いから覚めた曹操は、自らの行為を泣きながら後悔し、三公の礼をもって手厚く葬るよう、子の劉熙に劉馥の遺体を引き渡している。
ただし劉熙は、史実では劉靖の子、すなわち劉馥の孫にあたる人物であり、これは『演義』作者の脚色上の誤りと思われる。
漫画『蒼天航路』においては、登場時に故人ながら、存命時に曹操に揚州刺史に任ぜられ、単身で何もない空城合肥を8年で7万の民を抱く一大城市に興したという史実に沿ったエピソードが載せられ、『演義』よりも存在感の大きい役柄となっている。
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三国史人名事典より
字は元穎。沛国相の人。
戦乱を避けて揚州に住まいしていたが、建安年間(一九六~二二〇)初め、袁術の将戚寄・秦翊とともに曹操に身を寄せたので、曹操は喜んだ。司徒に招かれて掾となった。
のちに孫策の任命した廬江太守李術が揚州刺史厳象を殺し、同郡の梅乾・雷緒・陳蘭らが軍勢数万人を集めて長江・淮水一帯の郡県を侵害したが、曹操はちょうど袁紹と事を構えており、劉馥ならば東南方面を任せられるだろうと考えて、揚州刺史に任命するよう上表した。
劉馥はただ一騎にて合肥の空き城に入り、そこを州の治府とした。南方に手を伸ばして雷緒らを手懐けると、みな彼の元に集まった。都への献上物は数年間欠かすことなく、恩徳ある教化は大いに行われた。百姓たちはその政治を楽しみ、流民どもも山や川を越えて帰服したが、その数は万単位に上った。そこで書生たちを集めて学校を設立し、屯田を実施、芍陂および茹被・七門・呉塘といった堤防を築いて灌漑を行ったので、官吏も民衆も豊かになった。
また木石を積み上げて城壁を高め、むしろを数千万枚作り、魚の油数千石を蓄えて戦争に備えた。のちに孫権が軍勢十万人を率いて合肥に攻め寄せたとき、むしろを被せて長雨をしのぎ、魚の油を燃やして敵の夜襲に備え、こうして百日以上も持ちこたえて孫権軍を敗走させられたのは劉馥のおかげなのである。
建安十三年に卒去した。
【参照】袁紹 / 袁術 / 厳象 / 秦翊 / 戚寄 / 曹操 / 孫権 / 孫策 / 陳蘭 / 梅乾 / 雷緒 / 李術 / 合肥侯国 / 呉塘 / 七門 / 芍陂 / 相県 / 茹被 / 長江 / 沛国 / 揚州 / 廬江郡 / 淮水 / 掾 / 刺史 / 司徒 / 太守
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エピソード魏書 15-1 劉馥 より
蒼天航路の作者は 「劉馥」 をけっこう気に入ってたみたいでして、
「作品内で忘れて欲しくない人物10人の内の1人」 と語ってます。
劉馥は後に 「呉」 との戦いで最前線基地となる 「合肥城」 を巨大要塞に作り変えた男。
蒼天航路では 「279話」 に登場するのですが、すでに故人となっており、
「合肥城」 を訪れた曹操が、劉馥の残した遺産に感謝する・・・って話。
正史においても劉馥の最大の功績として、「合肥城」 を整備したコトが挙げられてます。
劉馥が 「合肥城」 に着いたときは何もない空城だったのですが、
州庁を整備して、学校を建て、屯田を拡大させ、護岸工事を行い、米の増産に努めたため、
合肥城はかなり豊かになっていきました。
城壁・土塁を高く築いて、草むしろや魚の油を貯蔵したりして、要塞化も進めてます。
劉馥は 「赤壁の戦い」 が始まる前の208年に病死。
しかし彼が懸命に行ってきた合肥城の強化・・・。
これは彼の死後。「呉」 との戦いで絶大な効果をもたらしました。